topへ
HOME>歴史

歴史

はじめに

ムササビの宿として親しまれた旧館

江戸

江戸写真

川原湯温泉は、鎌倉時代、源頼朝によって発見されたと伝えられる長い歴史をもつ温泉。
古くから、若山牧水をはじめ多くの文人墨客に愛されて来ました。70度の良質な温泉が、こんこんと湧きいで、旅ゆく人の身も心も癒してくれます。

江戸写真その2

当館は、名主、又兵衛により寛文年間(1661)に創業され、14代にわたり家業を営んで来ました。

家族構成
文政3年3月(1820年)

明治・大正

明治・大正写真

明治の絵図「山木館」が現存し、当時のにぎわいを伝えています。現在の宿にも門や蔵など当時の建物をイメージして作りました。

昭和初期

昭和初期写真

昭和27年 旧山木館新築工事の様子

昭和26年の火災で全焼し再建し、長らく営業を続け後に八ッ場ダム問題との長い歴史がはじまります。そしてこの建物も平成25年6月の移転に伴い解体されました。

八ツ場ダムとの60年の歴史

八ツ場ダム写真

八ツ場ダム写真

八ッ場ダムは、利根川の氾濫による洪水被害を防ぐとともに、首都圏の人たちの生活用水や工業用水を確保するため、昭和27年に建設省(現在の国土交通省)が、長野原町と東吾妻町の町境に計画したダムです。

反対運動

八ツ場ダム写真

計画が発表された当初、「首都圏の人たちのために故郷が水没する」ことに地元住民の方々はダム建設に強く反対をしました。
その後、賛成派と反対派に分かれ、町を二分するような深刻な問題となり、地元住民の方は大変つらい思いをされました。
昭和55年に群馬県が生活再建案を、平成2年には建設省と群馬県で地域居住計画を提示し、ダム建設に向け動き出しました。

経緯
昭和22年9月 カスリーン台風が関東を直撃し、被害が大きかった
昭和27年 利根川の治水、首都圏の利水を目的に、八ッ場ダム建設が計画されるが、吾妻の酸性水の問題で一時中断される。
昭和40年 再度ダム建設が発表。地元では再度ダム建設反対運動を展開。反対、賛成、条件付賛成派に分かれた。
昭和42年 再実地計画調査を開始(出張所開設)
昭和45年 実地計画調査から建設に移行。
昭和48年 水源地域対策特別措置法が制定された。
昭和61年 八ッ場ダム水源地域対策特別措置法に基づく国の指定ダムとして告示される。
平成7年 水源地域対策特別措置法に基づく水源地域指定が水没5地区に告示される。
平成8年 代替地造成工事着工。
平成20年 ダム本体工事5年延長と発表される。
平成21年9月 民主党政権により、八ッ場ダム建設中止と発表。
平成23年12月 前田国土交通大臣は、国交省政務三役会議において
「八ッ場ダムの建設継続」を決定したことを発表しました。

あとがき

この歴史ある温泉も、数年後にはダムの底に沈んでしまうため、平成23年から新築、移転工事を進め、平成25年9月26日に新装オ―プンいたしました。
又ここから新しい歴史を重ねて参ります.

詳しくは山木館「樋田家」の歴史
書斎「侘助」にございます